
| 生まれ |
1972年 |
| 子供の頃の夢 |
運転士(電車)(汽車の運転士) |
| クラブ活動(中学校) |
軟式野球部 |
| 働いている地域 |
愛媛県 |
出身地 |
岡山県 |
| 仕事内容 |
様々な事務仕事で社員を支える |
| 自己紹介 |
小学校・ソフトボール、中高・軟式(なんしき)野球、大学でソフトボールをしていました。今は審判(しんぱん)に転向して高校野球に審判(しんぱん)をしています。 |

※このページに書いてある内容は取材日(2007年08月15日)時点のものです


工場の中では、市役所や他の団体との手続き業務がたくさん出てくるんですけど、僕の仕事では、これらの手続き業務が約半分を占めています。市役所や他の団体と話しをしなくちゃいけないときには、僕が窓口になってやることが多いです。また、僕の職場は、工場と地域の方との窓口役にもなりますので、工場のことを地域の人にアピールしていくことも大切な仕事の一つです。工場見学の受入れや子どもたちの化学教室を実施するときには、僕が窓口になってます。今、市内の小学生が工場の中でケナフという植物を育ててくれてるんですけど、種植えと刈り取りのときには、僕が工場側の窓口になってます。

僕の職場は工場ですので、工場の現場で働いている人がメインだと思ってます。だから、僕たち事務職は、現場で働く人たちが働きやすい環境を整えることが大切だと思ってます。朝工場に来たときには、いろんな部署の人から「ここを直して欲しい」などの要望がきてるんですけど、まず朝一番で、それらの課題を解決するようにしています。その後、自分のしなくちゃいけない仕事をするようにしています。その仕事をしている間にも、いろいろと要望が来たりもするんですけど、そういう時にはすぐに現場に行って対応するようにしています。外に出る機会も多いです。市役所に行ったり関係者の方のところに行ったりして、自転車で行くんですけど、外に出ているときには一日中出ていることもあります。どちらかといえば、部屋の中で勤務することの方が多いです。
職場での人間関係を大切にするようにしてます。この工場では全部で560人くらい働いてるんですけど、僕の仕事の場合、人の名前と顔を覚えておかないと仕事ができないので、その人の名前と顔、その人がどんな人なのかというところまで覚えるようにがんばってます。工場の現場で働いている人は苦労が多いんですね。だから、少しでも気軽に相談してもらえる環境を整えておくことも、事務職としての仕事だと思ってます。意外だと思いますが、同じ工場の中でも、現場の人と事務の人って交流することが少ないんですね。でも、ちょっと顔を知っているだけでも、化学教室を開催するときなどに、現場の人にも講師になっていただくようにお願いしやすいですしね。人間関係は大切ですよ。
地域貢献(こうけん)していくことが工場の使命でもある

化学教室の開催などで地域の人との関わりが持てますので、喜んでもらえたらやりがいを感じますね。準備はすごく大変ですが、成功したときにはうれしいものです。化学教室が終わった後に残ってた子どもたちと話してたら、「楽しかった!なかなか抽選に当たらないだろうけど、また来たい!」と言ってもらうことができました。とてもうれしかったです。春には工場の中の桜を一般の方にも開放する観桜会というイベントも開催するんですけど、今年は1日に5千人以上の方に来ていただいたんですが、地域の方から「また来年も来るよ!」と言ってもらえた時にはうれしかったです。観桜会は、もう13年に渡って開催しているイベントです。うちの会社は70年以上もこの地域に立地している工場ですので、地域貢献をしていくことが工場としての使命にもなってます。
どんなことでも自分にとってプラスになると考えながらがんばってます。どちらかと言うと、僕はプラス思考の方です。工場には苦情とかも来るんですけど、苦情をそのままにしておくと工場の印象が悪くなってしまいますし、どんなことでもがんばったら自分の成長の糧になると思うので、辛いことでも前向きに対応するようにしてます。私は高校野球の審判をしてるんですけど、ジャッジすることって自分の判断に自信を持ってないとできませんし、ヤジを飛ばされることもありますので、忍耐力も必要になってきます。当然、仕事でも自信や忍耐力は必要ですし、仕事をするのに野球の審判としての経験が役立ってます。

私は岡山県の出身なんですけど、自分が勤めているクラレという会社は、元々は岡山県倉敷市の倉敷レーヨンという会社が始まりでした。だから、地元の会社ということもあって、元々「立派な会社だな~」ってイメージはありました。また、自分が尊敬できる野球の審判の先輩がいるんですけど、その人もたまたまクラレの方だったんですね。そんなこともあって、次第にこの会社で働いてみたいなって思いが強くなっていきました。この仕事の前には、スイミングスクールのコーチなど、人と付き合う仕事をしてましたし、自分は人と話すことが得意だと思ってましたので、今の事務職という職種は自分にとって適職だなと思ってます。

うちの親父がソフトボールのコーチをしてたこともあって、小学4,5,6年とソフトボールをやってました。地元が山奥だったので、釣りをしたり、あとは大体ソフトボールをしてました。親父は厳しかったですね。たまたま僕がソフトボールでキャプテンをしてたこともあって、親父からはめちゃめちゃ怒られたイメージしかないんですよ。みんな悪いのに僕だけ怒られてね。当時は「どうしてなんだろう。」って思ってたんですけど、今になって、あの時怒られたことで鍛えられたのかなって思います。僕は、中学校、高校と軟式野球をして、大学ではソフトボールをやってたんですけど、ランナーコーチなどの裏方ばっかりしてました。でも、僕は補欠になったから悔しいという気持ちよりも、裏方としてみんなと野球ができる喜びを感じる前向きな気持ちの方が強かったです。その気持ちが、今の仕事にも繋がっていると思ってます。
若いころは、やりたいことを見つけて好きにしてみるのがいいと思います。僕の子どものときと時代が変わってきてますので、楽しいゲームとかが出てきたりもしてますけど、子どものうちはとにかく何でもやって失敗してみて、そこからいろんなことを学んでいけばいいんじゃないかなと思います。僕もスポーツをやっていろいろと失敗しましたけど、そういう時にはみんなと助け合うことでやってこれましたし、逆に他の人が失敗したときには、今度は僕が助けようと思って助け合ったりもしましたが、普段から一生懸命していないと、お互いがそんなに助け合ったりするような気持ちにはならないですよね。何でも一生懸命してたからこそ、そこから学ぶことがあったんじゃないのかなって思います。
取材・原稿作成:西条市産業振興課 大久保