プロフィール
| 生まれ |
1952年 |
| 子供の頃の夢 |
科学者 |
| クラブ活動(中学校) |
水泳部 |
| 働いている地域 |
神奈川県 |
出身地 |
東京都 |
| 仕事内容 |
専門分野の研究と学生の指導を行う |
| 自己紹介 |
パズル解き、ピアノ、庭いじりが好き、一人で考えているのが好き |
※このページに書いてある内容は取材日(2007年09月05日)時点のものです
仕事人記事

皆さんは人類がどのように進化してきたかを考えたことはありますか?私は三浦半島の葉山にある総合研究大学院大学(総研大)というところで、総合人類学や進化心理学という分野の研究をしています。具体的に言うと、人類が何百万年もの長い時間をかけて進化してくる間、周りの環境はどのようなものだったのか、環境の変化に対処するために人類はどう行動しそれを習慣づけていったのかということを探っています。例えばヒトの行動や物事の理解、男女の差、言葉の始まり、生活の歴史などについてヒトと類人猿を比べると、謎がたくさん出てきます。その謎は、頭で考えて一旦仮に説明し(仮説)、色々な角度からの実験や野外調査を行い、集まったデータを解析し、仮説を証明すると解くことができるのです。
科学者には研究の他にもやるべきことがあります。一般的に研究者が歩む人生には、1.自分の「研究」をして知識を蓄える、2.次の世代の人間を「教育」して育てる、3.研究と教育のための施設を「運営」する、という3つのステップがあって、この「1.研究→2.教育→3.運営」の流れを3つのマス目に例えて私達は「研究者の人生の双六」と呼んでいます。今、私は3つ目のマス目に駒を置いて、研究と教育の仕事に加えて、総研大をどう発展させていくか、研究者が社会に対してどう発言をしていくかについて考え、他の研究者の方や日本の科学を政治の面から考えている方々と議論することをがんばっています。

皆さんは大学院という教育の場をご存知ですか?中学校や高校では、教員が既に知っている一つの答えを、どうすれば一番簡単に出すことができるかを生徒が考え、先生が教えてくれます。ところが大学や大学院では、取り組んでいる研究テーマの答えも、それを導き出す方法(アプローチ)も、最初は誰も知りません。いい成果を出すために過去の研究事例などを見ながらデータを取ったり、そのデータに対して自分の考えを述べたりするのです。面白そうだと思いませんか?普通の大学院は、大学を卒業して研究者になりたい学生を「研究室」という部署に2~3年間配属させて研究者に育てますが、私の働いている総研大には研究室がありません。その代わりに総研大の学生は5年間、学生の人数の2倍近くの人数の、多種多様な研究分野を持つ教授陣に鍛えられて勉強することができるんですよ。
色んな方とお話をすると、私が一日に何時間研究しているかをよく聞かれます。皆さんは、研究者が一日のうちどのくらいの時間を研究に割いていると思いますか?答えは目を覚ましている間中ずっとです。なぜそういう答えになるかというと、研究と生活を切り離すことはできないからです。例えばサルの繁殖期の行動研究をしているとき、朝から晩までものも忘れて野外でデータをとっていたり、その翌日お昼を食べているときにひらめいてグラフを作ったり、遊んでいるときに研究のアイデアが出てくることもあります。生活していて研究のテーマを忘れることはありえないので、夢の中身と研究テーマもどこかが関係している気がします。

研究の流れを簡単にまとめると、仮説を立てる→データを集める→データを解析する、となります。研究をする時に一番楽しいのは、集めたデータをきれいな表やグラフに表す「解析」の作業です。解析したデータを検証して、仮説が正しかったという結論になればもちろん嬉しいですが、検証して仮説を証明できない場合も良くあります。それでも解析の作業が一番面白い理由は、自分の仮説が正しいか正しくないかに関わらず研究の解析結果を世界中で自分だけしか知らないからです。その優越感に浸ることが何より嬉しいので、私はデータ解析をしている時はのめりこみ過ぎて食事を食べることもよく忘れてしまいます。
研究者にとって大切なことはデータや事実に正直であることです。何が大事で何が大事でないかの優先順位を決める基準のことを「価値観」といい、価値観は一人ひとり違います。研究の流れは、さきほど書いたように「仮説→データ収集→解析」ですが、この三つの流れや解析して出てきた知識に、価値観を組み込んではいけません。研究者は、例え仮説が間違っていても、集めたデータを「この10が5だと都合がいいから5にしてしまおう」などと自分の価値観にとらわれて嘘を言ったり、適当な数字をつけたりしてはいけません。自分の価値観を加えるときは上記の三つの流れの外で行わなければならないということです。データや事実の中に研究者自身の価値観を組み込んでしまうと、世間が混乱したり、研究の信憑性が失われたりと、災いを招くので注意しています。
私は一人っ子で、他の人間と接触してわいわい遊ぶよりは、一人でパズルを解いたり、自然界の生き物と触れたりする遊びが好きでした。野に生える草花や海岸に落ちている貝殻、昆虫の中では特にオニヤンマなんて震え上がるくらい好きだったんです。またキュリー夫人の伝記やドリトル先生の物語を読んで、彼らに憧れて、物心ついた頃から自分は科学者になるんだと思っていました。子供の頃は目に見える動植物を愛でていましたが、実際研究をしてからは、カビやバクテリアなどの肉眼では見えないような原生動物にも興味が向かいました。そんな私も、蛇が嫌いなのは昔も今も一緒なので、蛇についてだけは彼らがどう進化してきたのか知りません。

最先端の研究は答えを見つけるのが難しいので、これから何が伸びていくのか、何に目を付ければいいのかだけは教えることができません。科学者になりたい人は小さいときから世の中を良く観察しておかなければならないのだと思います。ゲーム機を電車の中まで持ち歩いて遊んでいて、自分の世界だけを常に持ち歩いている人もいますが、それは大変もったいないと思います。何が面白いテーマで、何が面白い発見に繋がるのかは、一人ひとりの価値観から自分で勘を働かせて考え出さなくてはならないので、出かけたら、美しい自然や環境にもっと目を向けてみてください。
取材・原稿作成:安井(インターンスタッフ)
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