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愛媛県西条市の仕事人

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竹箇平
どうぶつえんしいくかかり
動物園飼育係
たけがなる
竹箇平

プロフィール

生まれ 1966年
子供の頃の夢 動物飼育員 
クラブ活動(中学校) 野球部 
働いている地域 愛媛県 出身地 愛媛県
仕事内容 動物園で動物の世話をする
自己紹介 「祭りバカ」と「飼育バカ」の2つの肩書(かたが)きを持っているヒゲおやじ!?つらいことやくやしいことがあれば、いつも心の中で「伊勢(いせ)音頭」を歌い、壁(かべ)を乗り切る。。。 

※このページに書いてある内容は取材日(2007年12月20日)時点のものです

仕事人記事

寝(ね)ても覚めても動物園!!

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飼育係しいくがかりは早起きが当たり前と思っていたので、朝はなんなく早起きしています(9時すぎにはていますから子どもより早い就寝しゅうしんです)。ギリギリに起きて、バタバタして動物園に行き作業することはとても危険きけんなことですから、平らな気持ちで現場げんばに入ることはとても大事なことです。現場げんばに入り一番にすることは、動物たちに異常いじょうはないか?体調の悪い動物はどんな状況じょうきょうか?などを観察し、その日のスケジュールを頭の中でイメージします(新たなトラブルが起きるとスケジュールは変更へんこうになります)。その後、清掃せいそうやエサの準備じゅんび給餌きゅうじ(エサをやること)をします。これらは基本きほん的な作業ですが、とても大変です。エサ切りもあたえ方も霊長類れいちょうるいたちがマンネリ化しないように工夫したり、食べている姿すがたからの体調チェックなども行います。また、ウンチから健康状態じょうたいを知ることも重要で、飼育係しいくがかりにとってウンチは友だちみたいなもので、「ウンチ評論家ひょうろんか」を目指しています。わたしにとっては観察力アップが永遠えいえんのテーマです。子どものころからあこがれだった「夜の見回り」は、とべ動物園へ移転いてんしてからはなくなり、さびしくなりました。しかし、現在げんざい担当たんとう動物の体調が悪い時などは残業などもあり、また人工保育ほいくをすることになると夜も昼も関係なくなります。とにかく家に帰っても休みの日でも、心の中で飼育しいくをしている感じがあり、気が休まるのは退職たいしょくしてからかもしれませんね(笑)。

 

動物のためなら何でもやる「何でも屋」!?

あしたね仕事人あしたね仕事人あしたね仕事人あしたね仕事人ウンチ取りやエサの準備じゅんび以外にもやらねばならないことがありすぎて、日々ひび「やることが山積」状態じょうたいです。動物たちの生活環境かんきょう選択肢せんたくしの多いものにするための遊具作り、エサの確保かくほ。また、動物園の楽しみ方を伝え来園者の思いを知るためのお客さんとの交流(ガイド)も行います。そしてガイドを演出えんしゅつしてくれる看板かんばん作りも作業の合間を使って行います。また、会議やレポート作成などの事務じむ仕事もあり、いかに動物の観察時間を上手く作り、いいタイミングで動物を見るかが飼育係しいくがかりの力量と言えるでしょう(事務じむ仕事は家で行うことが多い)。昔はあまり重要視じゅうようしされていなかった「一般いっぱんの方へ動物園や動物のことを伝える」という仕事を邪道じゃどうと思う方もいるようですが、わたしはとても重要なことだと思います。現場げんばから真実を伝えなければ変わらないし、進化もしないのではないでしょうか。

 

命と向き合うことがこんなに難しいことか!と実感する毎日

あしたね仕事人あしたね仕事人動物園で働きはじめて20年った今でも、毎朝恋人こいびとに会いに行くような気持ちで出勤しゅっきんしています。現在げんざい担当たんとうしている霊長類れいちょうるい11種55頭は自分の体の一部のようなもので、病気や死亡しぼうなどのトラブルは心がいたみます。20年やっていても失敗ばかりです。2007年で一番残念な出来事は、クロザルのおすシャドー(18さい)が11月18日に死亡しぼうしたことです。シャドーは横浜よこはまの野毛山動物園生まれで、1991年8月8日にとべ動物園にやってきて、わたしとの付き合いは3年足らずでした。名前のごとく前身まっ黒なサルで、四角い顔と頭の上の直立した毛はとても魅力みりょく的でした。前日の夕方、部屋に入れるときフラフラしているため獣医じゅうい治療ちりょうしました。その後、保温ほおん設備せつびがしっかりしている動物病院に一晩ひとばん入院させましたが、翌朝よくあさ出勤しゅっきんすると死亡しぼうしていました。死因しいんは急せい心不全でした。体調不良の兆候はあったはずだし、サインも出ていたと思います。しかし、わたしはそれを見落としていたのです。老齢ろうれいあかしである白い毛がまっ黒な体毛にちらほら見え始めていたので白髪はくはつのシャドーを見るのが楽しみだったのですが。。。本当に残念です。今は残されためすクロウ(9さい)のケアにあたっているのですが、人工保育ほいくで育ったため、シャドーあと情緒じょうちょが不安定になり苦労しています。

 

うれしさや喜びは瞬間(しゅんかん)・瞬間(しゅんかん)のできごと

あしたね仕事人あしたね仕事人あしたね仕事人飼育しいくの面で言うと、喜びやうれしさは長く続くものではないような気がします。例えば、動物園に入って2年目の時、担当たんとうだったキリンの百恵ももえが出産日を向かえ、無事産み落としてくれましたが、「ヤッター」という気持ちはその瞬間しゅんかんだけでした。次は「無事立ってくれよ~」「自分でオッパイを飲んでくれよ~」と次から次と大きな波がせてくるんです。そんな状況じょうきょうでは、心の中で「神様助けて」と願うこともあります。それぞれの局面で的を得た対応たいおうができるかは、普段ふだんの観察と勉強から生まれるものです。こんな風に息がまるようなことが連続で起こる4K(きつい、きたない、危険きけんにおい)の仕事ですが、わたしにとっては「こんなに面白い仕事はないよ」と思える仕事です。

 

同僚(どうりょう)同士の信頼(しんらい)関係が動物にとっていい影響(えいきょう)を与(あた)える

今でもなかなかできていないことですが、わかかったころは、特に動物とだけ仲良くできればいいやと思い、動物との関係を重視じゅうししていました。飼育しいく方法のことで同じ方向を見て動物のために考えて動いている仲間なのに、意見のちがいで仲良くなれないことが多くありました。しかし、心の親といえる方との出会いで、そんなやり方・考え方は間違まちがっていることに気づかされました。同僚どうりょう・上司・来園者みんなヒトです。ですから、今では「ひとりでやりく強さは必要無く、いかに周りにささえ合っていける仲間がたくさんいるか、そしてやしているか」がとても大事なことと思えるようになり、わたしにとって永遠えいえんの課題です。

 

すばらしい出会い。そして巡(めぐ)り合わせが夢を実現!!

あしたね仕事人あしたね仕事人おさなころ、おじいちゃんのところにはヤギ・ヒツジ・ニワトリなど動物がたくさんいましたし、自分の家でも家でえる範囲はんいの生き物はひととおりいました。そんなわたし神拝かんぱい小学校の6年生の時、飼育しいく委員長になりました。1年の間に古い飼育しいく小屋が新しくなりました。この出来事を通じ、先生方とせっする機会がえ、とてもやさしくしてくれました。その時、委員長ということから周りの大人がわたしのことを信じ、まかせてくれたという気持ちが心に残りました。そして、わたしの中で責任感せきにんかん充実感じゅうじつかんが芽生え、「飼育係しいくがかりになる」というゆめが生まれました。西条さいじょう高校を卒業する時、進路の先生に飼育係しいくがかりになりたいと相談すると、いい意味で相手にされず、その瞬間しゅんかんから自分でさがそうという気持ちが行動にうつっていきました。当時は今のようにインターネットや職場しょくば体験のようなものは無く、全国の動物園に手紙や電話をし、採用さいよう状況じょうきょうを調べました。しかし、これという情報じょうほうもなく、動物園に入りたいという気持ちをめながら、先輩せんぱいの鉄工所や花屋でアルバイトをはじめました。それから2年がったある日、突然とつぜん手紙を送っていた県庁けんちょうの人事課から電話をいただき、とべ動物園の一期生の採用さいよう試験があることを知りました(一学生からの手紙を保管ほかんしてくださっていたことは神業的で感謝かんしゃでいっぱいです)。面接めんせつの時は、初代園長の山崎やまさき園長が目の前にいることも知らず、笑顔いっぱいでゆめを語ってしまいましたが、そのあふれる情熱じょうねつで1987年9月1日に、移転いてんを前にした道後動物園の門をくぐることになったのです。
※1999年から母校(西条市立神拝小学校)で課外授業を行っている(写真)

 

西条祭りは私の原点です!!

西条祭りは私の原点です!!

わたしが生まれたときの体重は2100gで、体が弱くしばらく保育器ほいくきらしでした。そんなわたしを親父、おふくろ愛情あいじょうたっぷりに育ててくれ、身も心も大きくしてくれました。子どものころは本を読むのが大好きで、市立の図書館へ行き、動物園や動物に関する本をむさぼり読みました。小学校4年生から友だちにさそわれ、西条さいじょう祭りに参加しました。高校に入ると高橋おさむさん(お祭り庄助しょうすけ大将たいしょう)と出会い、それをきっかけに西条さいじょうでも精鋭せいえい硬派こうはな!?祭りバカな大人たちとの出会いが、わたしを祭りバカに育ててくれました。西条さいじょうっ子の心意気やだんじりをかつぐ喜びなど、身を持って学んで、西条さいじょう祭りに夢中むちゅうになりました。現在げんざい、大好きな仕事をしていてもつらいことやくやしいことはあります。そんな時はヒヒしゃっている西条さいじょう祭りのポスターと、10月16日がスタートの西条さいじょう祭りまであと何日カレンダーを見て、エネルギーをもらっています。

 

子どもの頃(ころ)から私の身の回りにはかっこいい大人がたくさんいました

あしたね仕事人あしたね仕事人あしたね仕事人今の自分があるのは、すばらしい人たちと出会いがたくさんあったからだと思います。わたし飼育係しいくがかりになってしばらくしたころ、当時、旭山あさひやま動物園の飼育係しいくがかりだったあべ弘士ひろしさんと出会いました(現在げんざいあべさんは絵本作家で活躍かつやくしています)。あべさんからは、飼育係しいくがかりとしての「飼育しいくの楽しみ方」を教わりました。また、絵本作家としても得るものが多く、動物の体の細部をさりげなくき、そして気の利いたいきな言葉で絵を演出えんしゅつするところがたまらなく好きで、かっこいい大先輩せんぱいです。わたしの絵は、人様にお見せできるものではないのですが、くのが大好きで、最近は来園者向けの展示物てんじぶつ看板かんばん)は必ず絵をくようにしています。そんなわたしゆめは、動物園生活で経験けいけんしたことを絵本で表現ひょうげんし、それを古里の西条さいじょうや、現在げんざい読み聞かせボランティアでお世話になっている砥部とべ町の子どもたちに自作の絵本で読み聞かせすることです。そのためにも、頑張がんばるのではなく、楽しみながら元気で長生きしたいなと思っています。飼育係しいくがかりになりたいと思っている学生さんがいれば、何か力になりたいと思ってます。わたし飼育係しいくがかりになれたのは奇跡きせきのようなことで、色々いろいろな方との出会い、サポートがあったからです。とべ動物園に来たさいは、気軽に声をかけてくださいね。もしかしたら、将来しょうらい日本の動物園をささえる逸材いつざいかもしれないし、同志どうしになる可能かのうせいめているわけですから。応援おうえんしますよ!!

 

取材・原稿作成:西条市産業振興課 大久保

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