
| 生まれ |
1968年 |
| 子供の頃の夢 |
プロ野球選手 |
| クラブ活動(中学校) |
陸上部 |
| 働いている地域 |
東京都 |
出身地 |
熊本県 |
| 仕事内容 |
救急車で傷病者を病院へ運ぶ |
| 自己紹介 |
まじめで、のんびり屋。お笑いが好き。 |

※このページに書いてある内容は取材日(2006年10月23日)時点のものです


誰かが大怪我をして救急車が必要になったら、何番に電話をかけますか?119番ですね。私は、119番に助けを求めてきた人たちの所へ救急車で向かう救急隊として働いています。救急隊は3名1組で1台の救急車に乗ります。そして、必ず3名中最低1人は、私のように救急救命士の資格を持っている隊員がいなければなりません。救急救命士は、医師の指示を受けて医療行為を行うことができます。つまり、器具を使って呼吸が止まってしまっている傷病者に処置をしたり、静脈に点滴をしたり、呼吸をする時の空気の通り道(気管)を管で確保したり、薬を投与したりなどを、病院に着く前にできるということです。それは少しでも早く救命処置をして命を救うためにも、とても重要なことなのです。

救急隊は、朝8時30分から10分間で前日から勤務していた人たちと交替をして、次の日の朝8時40分まで24時間連続で働きます。119番に電話がかかって来ると、私達は救急車で傷病者(怪我や病気の人)の所へかけつけます。現場に着いてから、傷病者の呼吸や体温などの症状をみて、どのような応急処置が必要なのかをすぐに判断し処置にあたります。そして、患者を受け入れてくれる病院を探して連れて行き、患者の症状と、行った処置を医師に報告して患者を受け渡します。救急車の出動は、1日に平均10回ほどあります。1回の出動に1時間程度はかかりますので、1日の半分近くは出動している、ということになります。

救急車で出動すること以外にもたくさん仕事があります。まずは、出動した後に現場で何をしたか、どんな状況だったかを記録として残す仕事があります。その他は、救急車の中にある器具が正常に使えるかどうかを1つ1つきちんと検査をします。もし調子が悪いようなものがあれば、直します。救急講習会で地域の人たちに救急法の指導をしたり、テレビや雑誌の取材を受けたりして、安全や救急時の対応方法について世間の人たちに広く知ってもらう大切な仕事があります。

救急救命士として働くにあたって気をつけていることが3つあります。1つめは、健康管理に気を使うということです。体力が必要な仕事なので、救急車に乗るようになってからは、仕事の前日には早めに寝るようになりました。2つめは、救急救命士養成学校の教官から「慈愛の精神でやりなさい」と言われたことがあり、どんな時でも人を大切にするのだ、という気持ちをいつも忘れずに仕事をしています。そして、最後に、私達は3名1組のチームで働くので、チームワークを大切にしています。1人ではなく3名で、持っている知識や技術を出し合って協力し、傷病者のためになるようにすばやく行動することがとても重要です。どれも大切なことなので、いつも気にしながら働いています。

以前、「体育館で卓球をしている最中に突然倒れた」という連絡が入り、救急車で急いで向かったことがありました。現場に着いてみると、たまたまその場にいあわせた医者や看護師が心臓マッサージなどの応急処置を行っていてくれたのも幸いして、意識や呼吸が回復した、ということがありました。私達だけでなく、多くの人の協力があってこそのことだったと思います。また、子どもが産まれそうで動けなくなった妊婦さんを現場から病院へ運んでいる途中に、救急車の中で分娩が始まってしまい、私が子どもを取り上げたこともあります。その2週間後にはお子さんを連れて会いに来てくれました。救急救命士は、このようなことが毎日起きる、人の命と深く関わるやりがいのある仕事だと思います。そして、人の命が救われた時には、本当に嬉しい気持ちでいっぱいになります。

「マンションの5階から子どもが落ちた」という報告を受けて、すぐに出動したことがあります。現場へ向かう途中は、「間違いであって欲しい」と思っていましたが、残念ながら現実に起きていました。出血が多量だったので救命センターに運ぶことになり、落ちた子どものお母さんからお子さんの生年月日や名前を確認すると、偶然にも私の長男と年齢や名前が一緒でした。私はますますショックを受けてしまい、しばらく忘れることができませんでした。この仕事は、傷病者本人だけでなく、その家族の人生にも深く関わる仕事だと思っています。命が助かればその後も人生を送ることができるし、亡くなれば残された家族に影響します。嬉しいことばかりではなく、辛いこととも直面しなければならない仕事だとも言えるでしょう。

私が高校2年生だった時の冬、母が風邪をひき市販の薬を飲んだせいで、アレルギーが発生して呼吸困難になってしまいました。遂には意識がなくなり、夜中に救急車で運ばれていきました。結局母の命は助かり、本当に救急隊の人たちに感謝しました。私は、その時の救急隊のすばやい処置と態度を見て、「救急隊になりたい!」という気持ちが芽生え、救急隊になることを目指したのです。その後公務員になるために専門学校に2年通い、東京消防庁に入り救急隊として働いているうちに、先輩から「救命士になれ」と言われました。もともと救命士にもなりたかったのですが、同期生でもすでに救命士になっている人がいたのもあって、国家試験を受けることにしました。今は、救命士になって本当に良かったと思っています。

電車のホームで人を押しのけて電車に乗ろうとする中学生を見たことがあります。「1人はみんなのために。みんなは1人のために。」という言葉があるように、そういう気持ちを持っていると、周りの人にも思いやりを持って接することができると思います。そして、今後何かの壁にぶつかった時は、1人で抱え込まずに、誰かに話すと楽になると思うので、1つ1つの出会いを大切にして仲間を増やしていって欲しいと思います。
取材・原稿作成:中川(インターンスタッフ)