プロフィール
| 生まれ |
1974年 |
| 子供の頃の夢 |
医師 |
| クラブ活動(中学校) |
バスケットボール部、卓球部 |
| 働いている地域 |
東京都 |
出身地 |
埼玉県 |
| 仕事内容 |
映画の映像を作る |
| 自己紹介 |
幼い頃から、ずっと医者を目指してきたのに何故か映画監督に。小さい頃、努力と根性で育てられたせいか、今でもやると決めたことは絶対にあきらめない性格です。休日は競馬にいきます。料理をつくることも得意です。 |
※このページに書いてある内容は取材日(2009年11月30日)時点のものです
仕事人記事

僕の仕事は映画を創ることです。映画監督は、ロケ(野外での撮影)で撮影するだけではなく、脚本を作るために脚本家と一緒に企画を進めていき、プロデューサー(映画製作の責任者)と話し合って、キャスト(映画に出演する人たち)やスタッフ(映画を製作する人たち)を誰にするかも決めていきます。つまり、創りたい映画を「どんな内容にして、それを誰と実現していくか」ということを考える所から僕の仕事は始まるのです。そして最終的に撮影したものを上映できるように仕上げるまで、監督として映画創りに関わっていきます。作品によって様々ですが、平均すると1日に脚本4ページ分の撮影ができます。だいたい脚本1ページ分が映画の約1分になる計算ですので、映画1本分・約2時間120ページの脚本を撮影するには30日が必要となります。しかし、天候が悪く撮影が進まないことや、思うような映像が撮れないこともあるので、1日に1つの場面だけしか撮影できないこともあります。

脚本は映画の設計図になりますからとても重要です。その為、図書館へ行って調べ、色々な人に会って話を聞く取材を行ないます。「脚本」とは脚の本と書きますから、脚を使ってよく調べることが大切ですね。次にプロデューサーと共に、脚本に合った予算を決定し、スタッフやキャストを選んでいきます。集められるスタッフは約100名。いよいよ撮影準備に入ります。準備では、照明や美術など様々なチームに別れて、撮影場所や日時など細かいことを決めていきます。そして、クランク・イン(撮影の開始)。撮影は、映画を創るために必要な要素としては2割くらいに当たります。テレビ番組はビデオテープで撮影しますが、映画は基本的にスクリーンで大きく映すことが目的なので、フィルムで撮影します。撮影中は朝起きてすぐロケを始めるような感じです。太陽が昇って、太陽が沈むまでが勝負です。基本的な撮影スケジュールや段取りを組んでいくのは助監督の仕事で、私も以前は担当していましたよ。

皆に感動してもらえる映画を創りたい、という思いは常にあります。しかし、映画創りにはこうすれば良いという様な正解がありません。それは楽しくもありますが、とても大変なことです。より多くの人に受け入れられる作品を作りたいと思う反面、そのために中身が薄くなってしまわないように気を付けなければなりません。また、映画の仕事は「離合集散」といって、作品が決まったらスタッフが集合し、完成したら解散しています。作品ごとに「出会いと別れ」があるのです。そんな中、スタッフやキャストをまとめていくことは大変ですが、彼らに「この作品を良いものにする為に、自分も良い仕事をしたい!」と思ってもらえるような「場づくりの演出」、それも監督の仕事だと思っています。それから、自分の決定が映画の完成に大きく影響するので、決定には責任感を持って臨みます。すごくドキドキしますね。

映画の終わりには必ず「エンドロール」が流れます。役者の名前から始まり、映画に関わった全ての人の名前が流れる場面を、皆さんも見たことがあるかと思います。何十年経っても名前が刻まれているということはすごいことだと思います。それは誇りにもなりますが、ヘタな仕事ができないというプレッシャーでもあります。映画創りは夢を売る仕事ですので、皆さんに私達が創った映画を見て「勇気をもらった」「素晴らしかった」と喜んでもらえた時、それがやっていて良かったと思う瞬間です。

2003年に「らくだ銀座」という作品を創った時に、全国巡回型ロードショーで各地を回り、愛媛県内では内子座や道後温泉という場所で上映をしていました。その翌年、愛媛県に来た時にちょうど愛媛県西条市の合併記念事業の募集があり、それならば「合併記念として市民参加型で映画を創りませんか?」という企画書を出したところ選ばれました。西条市の6000名を超える人達のチカラを結集させて映画「恋まち物語」を創った経験は、僕にとっても忘れられない物になりました。僕にとって、関わった映画・それぞれの作品がとても大切です。スタッフが多く喧嘩になることもありますが、それは皆が作品創りに真剣だという証拠です。お互いの本気の気持ちを確かめ合えるように、日々きちんと話し合うようにしています。映画が1本創られていく中で、たくさんのかけがえのない思い出ができるんですよ。

幼い頃から高校生までは、ずっと医者になりたいと思っていました。しかし、進路を決める高校2年の時に、悩みながらも「映画の道」へ進むことを決意。中学の時に、ある1本のイタリアの映画を見たことがきっかけで、人生は大きく変わったのです。「いつか自分もこんな映画を創って、そこに自分の名前を刻めたら幸せだな」と・・・。大学4年からは見習いスタッフとして、黒澤清監督の下で働くチャンスを得ました。最初は仕事らしい仕事ができないので、エキストラ(通行人などを演じる臨時の出演者)に友人を連れていったり、スタッフの食事を作る手伝いなどをしたりしていました。100人ものエキストラを集めたこともあります。物事に興味を持つこと、人の話を良く聞くこと、本を読むこと、人に物を丁寧に伝えることをいつも忘れないように仕事をしています。

父が厳しい人だったので、子どもの頃はよく怒られていましたが、真面目な子どもだったと思いますよ。学校では、委員を任されても人に任せてしまい怒られたこともあります。負けず嫌いで、トランプ・かるた・球技など、どうすれば勝てるかコツをいつも探していました。祖母から「人が寝ている間に頑張ることが努力というものだ」と言われて、毎朝5時に起きて走ったり、そろばんの練習をしたり、習字を書いたり、庭の掃除をしたりしてから学校に行っていました。継続は力なりという言葉がありますが、毎日続けていたので体力もつき、字も上手になりました。今思うと、小さな頃からそうやって頑張ってきたことが、現在役に立っている気がします。

先入観や偏見で「できないだろう」と思ったことは、なかなか実現することはできません。やっても意味がないだろうと決めつけないで、「まずやってみよう」と思うところから全ては始まります。そして思ったらすぐに行動に移すことが大切ですね。僕は普段から自分の周りの人達に「これがやりたい」ということをどんどん伝えていきます。アピールしておくことにより、協力してもらえることがあります。一人ではできなくても、みんなに協力してもらってできることが世の中にはたくさんあるのです。どうかどんなことでも諦めずに、やりたいこと、自分の大切なことを見つけて下さい。そしてそれが見つかったら一生懸命それに向かって努力して下さいね。
取材・原稿作成:西条市商工労政課 加藤
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