
| 生まれ |
1971年 |
| 子供の頃の夢 |
陶芸家、画家 |
| クラブ活動(中学校) |
テニス部 |
| 働いている地域 |
東京都 |
出身地 |
東京都 |
| 仕事内容 |
サッカースタジアムを設計する |
| 自己紹介 |
明るく、ワイワイ話すのが好き。趣味はダンス:サンバやサルサ! |

※このページに書いてある内容は取材日(2006年07月07日)時点のものです

何もない場所に、どんなスタジアムをつくろうかと創造(そうぞう)する

何もない土地に向かって、どんな建物をつくろうかなと創造 する。この「創造 」することが、僕 の考える「設計 」という仕事の始まりです。何も無いところから建物ができあがったイメージをして、形を創造 する時が一番楽しくワクワクする瞬間 です。これは設計者 でないと味わえないことだと思います。僕 が設計 にかかわった埼玉 スタジアム2OO2は、「選手と観客が主役になる、劇場 のようなスタジアムをつくろう」という考えから始まって、いろいろなアイデアが生まれました。「屋根はその土地に生息している“しらさぎ”という鳥が、舞い降 りたような形にしよう」とか、「観客席とピッチの距離 を近づけて、選手の息づかいや鼓動 が聞こえてきそうなスタジアムにしよう」とか「選手がインタビューを受ける部屋は、情報 を世界につたえられるように宇宙 っぽくしよう」といった具合にです。

同時に、このスタジアムを使う人たちのことを考えるのも大切です。例えば、どうしたら快適 に、安全にいられるかということ。観客と選手、テレビ局の人たち、いろいろな国の王様などが、顔を合わせてしまうと大変なことになるというのは、なんとなく分かってもらえますよね? だから、それぞれの人たちがバラバラに、そしてスムーズに動けるようにする。それから、6万人以上になる観客が、15分のハーフタイムにトイレにいけるように、トイレはたくさんつくろうなどと考えます。

守らなくちゃいけないルールのことも忘 れてはいけません。W杯で使うスタジアムならではの決まりとして、観客席の3分の2は屋根でおおうなどのルールがあります。さらに、出入り口やろうかのはばなども、日本の建築 の法律 で決まっています。
想像(そうぞう)したものを、どうやったら実現(じつげん)できるか

そんな「こうしたい」と「こうでなくちゃ」を合わせて、どうやったら実現 できるかを考えていくのです。そして、「この材料を使って、こうつくろう」という設計図 をかいていきます。サッカースタジアムのような大きなものになると、この設計図 もものすごい量になります。埼玉 スタジアム2OO2では、なんと1225枚 にもなったんですよ。
かかわる人全員の力を合わせることで、自分が考えて思っていた以上のものができる

建物をつくっていくというのは、設計士 だけで考えるものではないと僕 は思っています。いろいろな人の意見を聞いて、その意見を反映 させていくのです。例えば、僕 たちにスタジアム設計 を依頼 した埼玉 県の役所の人やサッカー協会の方々 から施設 の使い方などを話し合ったり、工事中には工事をする建設 会社の人の意見を聞いたり、スタジアムのいすの色を決めるときには、色を研究している大学の先生に相談し、植える芝 を決めるときには、実際 に一流の選手にプレーをしてもらって、その感想を聞きました。まさに、かかわる人全員の力を合わせて建物をつくっていくのです。僕 は、この仕事の面白いところもここにあると思っています。できあがったスタジアムが使いやすく、みんなにとってすばらしいと思えるスタジアムにするために、その分野のプロの意見を聞いて、建物がより良くなるようにしていくのです。そうすることで、自分が想像 していたもの以上のものができあがります。そんなときに僕 は、「いい仕事ができた!」とうれしくなるのです。
何が成功で、何が失敗かは、そのときには分からないことも

ただ、いろいろな人がかかわるからこそ、いきちがいも生まれます。例えば、選手が試合直後にインタビューを受けるフラッシュインタビューゾーンという場所があります。工事中の天井 に付けられた照明をみたとき、自分がイメージしていたものと違 っていて、僕 は「この空間にはあわない!」と思いました。みんなの意見を聞いて決めたその照明を、夜中にこっそりと取り替 えてしまおうかと思ったほどです。でも、床 やかべがはられ、すべてができあがったとき、「なんだか変な感じ」と思った違和感 は消えていました。時間が経 つにつれて、失敗だと思っていたものが成功になっていたのです。だから、すぐに「これは失敗だ」と決めつけないことも大切なのかなと今は思っています。何が失敗で、何が成功なのかは、その時には分からないこともあるんです。
設計(せっけい)という仕事に気付いたのは、高校2、3年生のころ

子どものころ、僕 は設計 という仕事があることを知りませんでした。小学校1年生から絵や陶芸 を習い始め高校3年まで続けていました。体育と美術 だけが得意だった僕 は、芸術 の世界でずっと生きていくのだと思っていました。でも、いつのころからか、ななめになった机 に向かって何かをかいているイメージが頭の中に生まれていたんです。「どうやら、それは設計 という仕事らしいぞ」と気付いたのが、高校2、3年生のころ。ちょうど絵の道でざせつ感を味わっていた僕 は、そのイメージを追いかけて大学の建築 学科へと進み、今は、設計士 として働いています。だから、みなさんもこれから大きな壁 にぶつかる時があると思いますが、すぐにあきらめず頑張 っていけば、きっと新しい道が開けると思います。

建築 の道へと進むことを決めたとき、僕 はリュックひとつを持って、世界へ旅に出ました。そこで、いろいろな人に出会い、いろいろな遺跡 を目にしたとき、僕 の世界は広がりました。いままで考えたことのなかった日本という国についても考えるようになって、帰国後は空手を習いはじめたほど。自分がいる場所から一歩ふみだしてみると、今まで見えなかったものが見えてきます。だから、みなさんもいろいろなところへ行って、いろいろな人に会い、これはと思うものにはぜひ失敗をおそれずに挑戦 してみてほしいですね。
取材・原稿作成:増田(インターンスタッフ)